ふとした瞬間に、“久慈市って今どうなってるんだろう?”
そんな問いが、どこからともなく自分の頭の中に浮かび上がった。
特にきっかけがあったわけでもなく、ただ何となく、心の奥のほうを小さな波がさざめいたような感覚があった🌊💭
気になったら止まらない性格なので、スマホを取り出して検索してみる📱
そこで出てきたのが、目にずしんと響くこの数字👇
2025年11月1日現在:人口30,661人
平成27年:36,754人
数字は静かで無機質。
だけど、その並びを見た瞬間、胸の奥に小さなざわめきが広がった😶🌫️
まるで、自分でも忘れていた感情が、数字に触れたことで目を覚ましたように。
盛岡で暮らしていると、久慈は地図の上では近いのに、心の距離は不思議と特別だ。
行った回数は決して多くないのに、思い返される風景はやけに鮮明で、どこか懐かしくて、少し切ない。
その感覚を追いかけながら、気づけば“久慈ってどんな街だったっけ?”と、記憶の引き出しをひとつずつ開けていた。
◆盛岡から北へ向かうと、風景が少しずつ変わっていく🛣️🍃
久慈へ向かう道のりは、いつも“グラデーション”の連続だ。
盛岡の空気は少し柔らかくて、山に囲まれながらもどこか広い。
北へ車を走らせていくうちに、風が乾き始め、空の青が濃くなってくる。
そして、さらに進むと、山の稜線の形が変わり、木々の影が細くなっていく。
やがて、空気の中にほんのり潮の気配が混ざる。
あの微妙な塩味のような香りが、“久慈が近い”という合図みたいなんだ🌬️🌊
目に映る景色が変化するだけでなく、
肌に触れる風の温度、耳に届く音の距離感まで変わる。
久慈へ向かう道は、まるで時間ではなく“感覚”で移動していくような不思議な道だ。
懐かしさ、切なさ、そして、どこか温かい期待。
そんなものが、道の途中から少しずつ心に溶け込んでくる。
◆人口という数字の裏側に、確かにある生活の匂い🏘️🌼
人口の数字だけを見ると、減っているという事実ばかりに目が向く。
でも、街の本当の姿は数字では語りきれない。
久慈の商店街を歩いたとき、
店先の木箱に触れたら、表面がほんのり日焼けして温かかった🌞🧺
それは、毎日の生活が積み重なっている証のように感じた。
地元のスーパーの揚げ物の香りは、時間を問わず食欲を誘う🍤
その香りにまぎれて、地元の人同士の会話が聞こえる。
“今日は魚が安いぞ” とか “〇〇さん、久しぶりだな〜” とか。
その何気ない声が、街の鼓動のように思えた。
道路沿いの家々の前に並べられた花壇の花🌼
小さな子どもたちの笑い声👦👧
漁港の方から届く潮の香り🌊
ふいに風に乗って耳に届くカモメの声🕊️
これらは全部、数字には絶対に載らない“街の息づかい”だ。
人口が減った=街が弱った
という単純な話ではない。
むしろ、そこに住む人の生活は確かに続いている。
その“続いている生活”の温度に触れたとき、胸の奥がじんわりと熱くなった🔥
◆なぜ盛岡の自分が久慈を思うのか🤔🍃
盛岡は便利だし、それなりに人も多い。
新しいカフェができたり、商業施設が増えたりして、街は変わり続けている。
だけど、ありがたい便利さの一方で、
“岩手らしさって何だったっけ?”
とふと考える瞬間がある。
そんなとき、久慈のことを思い出す。
潮風の匂い、素朴な市場のざわめき、
道端の花の鮮やかさ、
人の間に流れるゆったりとした空気感。
久慈には、岩手の“根っこ”みたいなものがある。
都会でもないし、観光地だけでもない。
派手さがないからこそ、心に染みるものがある。
その“根っこ”を思い出したくて、
ときどき久慈の人口や街の様子を調べてしまう。
それはまるで、遠くにいる親戚のことをふと気にする感覚に似ている。
◆寂しさの奥にある、確かな希望🌈
人口が減っていることは、もちろん寂しい。
だけど、寂しさが強いということは、
それだけ“街に対して想いがある”という証拠でもある。
そして、街が小さくなることで、かえって際立つものがある。
人と人の距離感のあたたかさ、
地域で支え合う文化、
自然と共に暮らす感覚、
残っていく風景や音や匂い。
久慈には、その“残っていくもの”が確かに存在する。
潮風に乗ってくる香りは強くて、
山を抜けてくる風はどこか懐かしくて、
街の中のささやかな音は、驚くほど心地いい。
希望は派手な形じゃなくてもいい。
むしろ、小さな光だからこそ守りたくなる✨
久慈の人口を見て胸がざわついたのは、
その小さな光を思い出したからなのかもしれない。
◆静かな力を持つ街のこと🌿
久慈という街には、表に出ていないけれど“静かな力”がある。
大きな街ではないし、派手な賑わいがあるわけでもない。
だけれど、地に足のついた、確かな強さがある。
それは、人の声のトーンだったり、
街に流れる風の速度だったり、
海と山が同時に近くにある独特の距離感だったりする。
盛岡で暮らしていると、その静かな力を時々思い出したくなる。
だから、こうして久慈の人口を調べたり、街のことを想像したりする。
懐かしさ、
寂しさ、
そして、希望。
その全部を同時に味わわせてくれる街って、案外少ない。
久慈は、そのひとつだと思う。